自分を一番癒せるのは自分 退屈な日々に思うこと
ねぐらです。
自粛にお疲れではないですか。
こうにも何も予定がない日が続くと虚しくなる。
ひたすらに何かに向き合えるだけの情熱もなくて、ただ退屈な日々が流れていくのを眺めているだけだ。
自分がどこか遠のいて、すっと消えてしまいそうな感覚になる。
時間の流れが他人事のように感じてしまってやるせない。
携帯の中にはいくらだって情報はあるし、
世界中の顔も名前も知らないような他人の価値観、人生観で溢れている。
関係ないとは思いながらも、そんな他人の言葉で泣いてしまう。
涙もろい自分が情けないとも思うし、感性豊かでよかったなとも思う。
でも結局ネットの中には自分の居場所は見つけられなくて、それはただひたすらに虚しい。
携帯を握りしめても何も生まれないのだとつくづく思う。
そんな時に、自分を癒せるのはやっぱり自分でしかない。
不安定になればなるほど外側に助けを求めてしまいたくなるけれど、自らの内に秘めたものよりも心強いものはない。
だからこそこういう時にはいつも、「自分と向き合えているか?」と考えるようにしている。
一度手を止めて、目をつぶる。
大きく息を吸い込むと、体の感覚に敏感になれる気がして心地いい。
しばらく息をしていると、優しい音楽が聴きたいと思った。
こうやって自然に浮かんできた望みはできるだけ叶えるようにしている。(叶えられる範囲ならね。よく夜中に飛び出して自転車で飛ばしたくなる衝動に駆られるけど、もちろんそんなことはしない。)
心が落ち着いたときにふと浮かんできたことこそ私を満たしてくれると思っている。
そして事実、それで満たされることが多い。
自粛ばかりで飽きたと思うこともあるけれど、意外にも楽しんでしまっている。
もともと出不精ではないものの、HSP(簡単に言うと繊細で敏感な人)であるため
毎日大勢と触れるのは疲れる。疲れすぎる。
時々動けなくなっちゃうくらいに。
「人と会うな」といわれると、余計な人づきあいがないので気が楽である。
そして、こんな期間中に会いたいと思える人が私にとって本当に大切なんだと思う。
話したいと思った友達にすぐ電話をして、他愛もない話をする。元気そうでよかった、なんて思いながらちょっとした愚痴に耳を傾けて二人で笑う。
大切にしておきたい間柄である。
まだまだ自粛は続くであろうし、退屈だと思うことも多い。
でも、自分を一番癒せるのは自分。
この退屈な時間に負けないように強くいたい。
携帯を握りしめても幸せは得られない。
自分自身が生きやすいように行動しようと思っている。
というわけで、完全な戯言になってしまったが、もし最後まで読んでくれた人がいたならありがとう。
こんな私だけどよろしく。
どっかで聞いたようなセリフだな。
ではまた。